高橋源一郎さんの論壇時評をまとめた「ぼくらの民主主義なんだぜ」を読みました。

開始された時期が2011年4月であるため、東日本大震災についての文章から始まっています。

原発事故について触れているものも多く、あの頃の、心を毎日のように激しく揺さぶられていた日々の記憶が蘇ってきました。

同時に、揺さぶられるのがつらくなって、そこからいつの間にか意識を遠ざけていた自分があったこと、そして今なら比較的冷静に、起こったことについて見直せるようになっている自分がここにある、ということにも気がつきました。

年月の経過によって少しは心が強靭になったのかもしれませんし、単に時間が経過したから、いくらか受け止めやすくなっただけなのかもしれません。

そのどちらが正しいのか、自分ではなかなか判断のつきにくいところです。

 

この本の中で、高橋源一郎さんは誰かを声高に批判したり、攻撃したりすることなく、柔らかく、しなやかな文章で世に起こっていることを語り、そして読み手に呼びかけていきます。

そこには「世の中は大きく変わってしまいましたが、これからどうするか一緒に考えてみませんか」と、そんな声の響きが通底しているように感じられました。

それは震災後に目立つようになった、断定的で、攻撃的で、人の意見に耳を貸そうとしない人々の姿勢とは正反対のものであり、本のタイトルにもあるとおり、民主主義を前提とした政治体制を持っているはずのこの国で、どういうふるまいをするのが本当に正しい姿勢なのかを問うているようにも感じられます。

 

この本の中では政治、エネルギー、教育、貧困、テロなど、様々な話題に触れています。

これら全てについて考え、自分なりの意見を持ち、表明し、あるいは行動し、そうやって生きていくのは実にしんどいことです。

投げ出してしまって、どこかの誰かがうまく解決してくれるだろう、と考えて手を引いた方が、引き受けようとするよりもはるかに楽なことでしょう。

しかしそれを投げ出さず、自分のこととして受け止めて、考えたり行動したりするのが主権を持っている、ということです。

この本で引用されている湯浅誠さんの言葉のように、

「民主主義とは、どんなに嫌がっても、主権者から降りられないシステムなのです」

 

日本の憲法には「主権の存する日本国民」と書かれており、昔これを読んだ時には、「ふーん、国民に主権があるのか」とさらりと流していたのですが、よく考えてみるとこれは主権という重たい権利が、国民であれば誰でも付与されるのですよ、という意味であり、そのぶん責任があるんだよ、と告げられているわけです。

実際には主権とは、黙っていればただ与えられるものではなく、その責任を引き受けようとした時に初めて発生するものではないか。

そう思う人が増えていき、この社会に満ちた時に、「民主主義」は「ぼくら」のものになるのかもしれません。

この本を読んでから、そんなことを思いました。

 

ぼくらの民主主義なんだぜ (朝日新書)

ぼくらの民主主義なんだぜ (朝日新書)

  • 作者: 高橋源一郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2015/05/13
  • メディア: 新書
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